青空文庫より泉鏡花「湯島の境内」を例に使った。あまり良い例ではないと思っているが著作権上の問題がない日本語戯曲でより良い例が見つからなかった。
〽冴返る春の寒さに降る雨も、暮れていつしか雪となり、
仮声使、両名、登場。
〽上野の鐘の音も氷る細き流れの幾曲、すえは田川に入谷村、
その仮声使、料理屋の門に立ち随意に仮色を使って帰る。
〽廓へ近き畦道も、右か左か白妙に、
この間に早瀬主税、お蔦とともに仮色使と行逢いつつ、登場。
〽往来のなきを幸に、人目を忍び彳みて、
仮色使の退場する時、早瀬お蔦と立留る。
貴方……貴方。
ああ。と驚いたように返事する。
いい、月だわね。
そうかい。
御覧なさいな、この景色を。
ああ、成程。
可厭だ、はじめて気が付いたように、貴方、どうかしているんだわ。
どうかもしていようよ。月は晴れても心は暗闇だ。
ええ、そりゃ、世間も暗闇でも構いませんわ。どうせ日蔭の身体ですもの。……
お蔦。とあらたまる。
あい。
済まないな、今更ながら。
水臭い、貴方は。……初手から覚悟じゃありませんか、ねえ。内証だって夫婦ですもの。私、苦労が楽しみよ。月も雪もありゃしません。四辺を眗すちょいとお花見をして行きましょうよ。……誰も居ない。腰を掛けて、よ。と肩に軽く手を掛ける。〽慥にここと見覚えの門の扉に立寄れば、早瀬、引かれてあとずさりに、一脚のベンチに憩う。